37年の生涯
1483 – 1494
ウルビーノの少年
1483年4月6日、丘の上の文化都市ウルビーノに生まれる。父ジョヴァンニは宮廷画家で詩人。8歳で母を、11歳で父を失う。
死ぬ日もまた4月6日。短い人生の輪郭は、最初から閉じているように見える。
この章を動画で観る(2:00〜)1494 – 1508
ペルジーノからフィレンツェへ
ピエトロ・ペルジーノのもとで穏やかな色彩と理想の顔を学ぶ。フィレンツェではレオナルドとミケランジェロの衝撃を吸収し、調和へ翻訳する。
天才の発明を、誰もが読める構図に変える才能が開く。
この章を動画で観る(4:30〜)1508 – 1513
ヴァチカンの重圧
教皇ユリウス2世に招かれ、署名の間を描く。巨大な壁と短い納期。工房を率い、弟子を動かし、自分は要所を描く。
完璧さは天賦だけでなく、過労の組織術でもあった。
この章を動画で観る(8:30〜)1509 – 1511
アテナイの学堂
哲学者たちを一つのアーチ空間に集める。《アテナイの学堂》は、知の対話そのものを建築にした。
プラトンとアリストテレスの歩みは、今も教科書の見開きに残る。

1510s
ラ・フォルナリーナ
アトリエに残された女性像。パン屋の娘とも、理想とも言われる。公の聖母の美と、私的な炎が並ぶ。
完璧な画家の内側に、説明しきれない熱があった。
この章を動画で観る(18:30〜)1520
37歳、最後の日
1520年4月6日、ローマが泣く。死因は過労、熱病、恋愛と、当時から噂が分かれた。
短い生涯のあと、西洋の「美しさ」の基準は長くラファエロの名で測られる。
この章を動画で観る(22:30〜)