62年の生涯
1577 – 1590s
混乱の中で生まれた宮廷人
1577年、現在のドイツ・ジーゲンに生まれる。ネーデルラントは宗教戦争の只中。父の死後、一家はアントワープへ戻る。
絵より先に、ラテン語と宮廷の作法を学んだ。屋根裏の貧困画家ではない出発。
この章を動画で観る(1:22〜)1600 – 1608
イタリアで学んだ、勝つための美
マントヴァ公に仕え、古代彫刻、ヴェネツィアの色彩、カラヴァッジョの明暗を吸収する。《ファエトンの墜落》《レルマ公騎馬像》。
美しいだけでは足りない。依頼主がどう見られたいかを絵に変える。
この章を動画で観る(3:28〜)1608 – 1620s
工房という戦略
母の病でアントワープへ戻り、イザベラ・ブラントと結婚。宮廷画家でありながら商業都市に住み、巨大工房を組織する。
構想は自分、展開は弟子、要所は仕上げ。名前は制作システムで広がった。

1620s – 1630
絵筆で和平を運ぶ
スペインとイングランドを行き来する外交使節。《平和と戦争》は絵で書かれた外交文書。マリー・ド・メディシスの連作は、失敗した人生を神話に編集する。
芸術家の扉が、密書を通した。
この章を動画で観る(11:51〜)1630 – 1640
晩年の静けさ
再婚したエレーヌと庭園の家族像。成功の代償のあと、私的な温かさが残る。1640年、62歳。
最も成功した芸術家の戦略は、才能を権力の言語に翻訳したことだった。
この章を動画で観る(14:11〜)