67年の生涯
1452 – 1460s
私生児として生まれた少年
1452年、トスカーナのヴィンチ村に生まれる。ダ・ヴィンチは名字ではなく「ヴィンチ出身」の意味。父は公証人、母の素性は今も薄い。私生児だったため大学も父の職も閉ざされた。
それでも少年は、水の渦や鳥の翼を「なぜ」と見ていた。好奇心が、のちの万能のエンジンになる。
この章を動画で観る(1:00〜)1460s – 1470s
フィレンツェの工房
十代でアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房へ。絵画、彫刻、金属、建築まで学ぶ総合学校だった。弟子の上達は速く、師を超える逸話が残る。
線で形を決めるより先に、空気と光のグラデーション——スフマート——へ向かう目が育ち始める。
この章を動画で観る(3:30〜)1480s – 1490s
完璧を求めすぎた男
ミラノのスフォルツァ家のもとで軍事、祝祭、解剖、飛行まで手を伸ばす。依頼は多く、完成は少ない。締め切りを破り、パトロンを怒らせた。
未完成は怠けではなく、世界が広すぎて一点に閉じられなかった残酷さでもあった。
この章を動画で観る(7:30〜)1495 – 1510s
最後の晩餐、モナ・リザ
《最後の晩餐》は壁に油彩を試み、劣化が始まる。《モナ・リザ》は何年も手元に置き、微笑みを完成させなかった。
残ったのは完成品の数ではなく、見るたびに問いが開く画面だった。

1516 – 1519
フランスの城で
晩年はフランソワ1世に招かれ、アンボワーズ近郊のクルー城へ。1519年、67歳で没する。手稿と未完の構想が膨大に残った。
500年後も「天才」の代名詞である理由は、完成しきれなかった問いの広さにある。
この章を動画で観る(17:30〜)