38年の生涯
1571 – 1592
喪失からローマへ
1571年、北イタリアに生まれる。父を早く失い、ミラノで絵を学ぶ。貧困と喧嘩の気質を抱えたまま、ローマへ出て下働きから頭角を現す。
1590s – 1606
聖マタイの光
枢機卿の庇護を得て、宗教画に路上の男たちを座らせる。《聖マタイの召命》の斜光は、神を雲ではなく居酒屋のテーブルに降ろした。
「2週間描き、1〜2ヶ月剣を差して街を徘徊する」。制作と暴力が交互だった。
1606 – 1610
逃亡する天才
ローマで人を殺し、ナポリ、マルタ、シチリアへ逃げる。赦免を待ちながら、なお光と首と悔恨を描く。1610年、38歳。熱病とも、別の暴力とも言われる死。
300年忘れられ、20世紀に再発見される。映画の照明は、まだ彼の地下室にいる。