PAINTERS ─ 画家アーカイブ

クリムト

Gustav Klimt, 1862–1918

金箔と官能。ウィーンを魅了した「接吻」の画家。

生地

オーストリア・ウィーン

画家としての活動

1880年代–1918年

主な拠点

ウィーン/アッター湖

代表的な様式

黄金様式・装飾芸術

【本人の画風で再現】クリムトの生涯 ─ 15:05。映像はクリムトの画風をAIで再現したものです。

Life

金箔の下にある55年

1908

フック ── 黄金に塗り込められた愛

崖の上で抱き合う男女を、金色の光と文様が包む。クリムトの《接吻》は、発表直後にオーストリアが買い上げた国の宝になった。

しかしその輝きの裏で、画家は「わいせつ」と罵られ、大学教授たちから追放運動を起こされていた。なぜ彼は金箔で愛を描いたのか。その問いから、黄金の画家の生涯をたどる。

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1862 – 1876

誕生と幼少期 ── 彫金師の息子

1862年7月14日、ウィーン郊外のバウムガルテンに生まれる。父エルンストは金の彫金師で、金属に金を貼り、装飾を施す職人だった。後の黄金様式の源流は、幼いクリムトが父の仕事場で見た金箔の光にある。

7人兄弟の次男として暮らしは豊かではなかったが、14歳で奨学金を得てウィーンの工芸学校へ入学する。彼が受けたのは、注文に応える装飾職人としての訓練だった。

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1880 – 1892

修行・転機の時代 ── 帝国の寵児から喪失の淵へ

弟エルンスト、友人フランツ・マッチュと芸術家カンパニーを結成し、ブルク劇場や美術史美術館の装飾を手がける。1888年、26歳で皇帝から黄金功労十字章を授与され、帝国に認められた成功者になった。

しかし1892年、父と弟エルンストが相次いで死去する。クリムトは筆を止め、注文通りの装飾が本当に自分の芸術なのかを問い始めた。その時期に出会ったエミーリエ・フレーゲとは、結婚せずとも27年にわたる特別な絆を結んだ。

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1897 – 1905

苦悩と葛藤 ── ウィーンを敵に回した男

1897年、保守的な美術家組合を離れ、仲間とウィーン分離派を旗揚げする。「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」という宣言のもと、クリムトは初代会長になった。帝国の寵児が、古い権威から分離した瞬間だった。

ウィーン大学の天井画「哲学」「医学」「法学」では、学問の勝利ではなく、老い、病、死と人間の不安を描いた。教授たちと新聞から「わいせつ」と攻撃され、1905年に報酬を返して国家の注文を断ち切る。

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1903 – 1908

代表作の誕生 ── 黄金の10年

1903年、ラヴェンナで見たビザンティン・モザイクの金に衝撃を受ける。父から受け継いだ彫金の感覚と画家の表現が結びつき、顔や手を生身のまま残し、衣服と背景を金色の装飾面で包む黄金様式が生まれた。

1907年の《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》、1908年の《接吻》では、四角、円、渦巻きの文様が人物の感情と呼応する。官能の輝きの下に、崖際の足の緊張や、愛の危うさまで忍ばせた。

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1910 – 1918

晩年と最期 ── 「エミーリエを呼んでくれ」

晩年はウィーン郊外のアトリエで、青い作業着のまま猫に囲まれて描き続けた。夏にはエミーリエとアッター湖畔で過ごし、金の面からより自由で鮮やかな風景へと色彩を広げていく。

1918年1月11日、脳卒中に倒れ、最初に求めたのはエミーリエだったと伝えられる。肺炎を併発し、2月6日に55歳で死去。同じ年、後継者と見たエゴン・シーレも亡くなり、ウィーンの黄金時代は幕を閉じた。

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1938 – 現代

死後の評価と遺産 ── 奪われた黄金

クリムトの死後、《アデーレ》はナチスによるユダヤ人家族の財産没収の中で奪われ、戦後も長くオーストリアの美術館に置かれた。相続人マリア・アルトマンが返還を求め、2006年に絵は正当な家族のもとへ戻った。

国家に愛され、国家と衝突し、死後は歴史の暴力に巻き込まれた画家。その装飾と人物表現は、絵画だけでなくデザインやイラストにも影響を残している。

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1908 –

金箔の下にあるもの

クリムトは自画像を一枚も残さず、自分を知りたければ絵を見てほしいと書いた。生前に「わいせつ」と罵られた装飾は、今ではウィーンを象徴する光になっている。

《接吻》の金色が足を止めるのは、ただ美しいからではない。直線と曲線、陶酔と不安、身体と装飾。その対立を一枚の画面に閉じ込めた、画家の覚悟が見えるからだ。

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Style

クリムトのパレット ─ 画風の解剖

動画の映像は、黄金様式の金、装飾面、人物の写実的な顔と手から着想したAI再現です。既存作品の構図や固有細部を複製したものではありません。

アンティークゴールド

金箔とモザイクの輝き。時間を超える面

黒と深い藍

輪郭と衣服の幾何学を締める色

深紅

装飾の中に残る身体の熱

エメラルド

生命と自然を平面の文様に変える

技法の核心は、顔や手を柔らかく写実的に描き、衣服と背景を浅い奥行きの装飾面にすること。四角、円、三角、渦巻きなどの反復が、人物を現実の肖像であると同時に一枚の模様へ変える。金は豪華さだけでなく、愛、生命、そして危うさを包む膜として働く。

Quiz

アートクイズ

動画とこのページを読んだあなたへ。3問だけ。

Q.1クリムトの父は、どんな職人だった?答えを見る

金の彫金師。金属に金を貼り装飾を施す仕事で、後の黄金様式の源流になりました。

Q.2クリムトが1897年に仲間と結成した集団は?答えを見る

ウィーン分離派。保守的な美術家組合から離れ、古い権威に対して自由な芸術を掲げました。

Q.31908年に発表された、クリムトの代表作は?答えを見る

《接吻》。幾何学的な装飾と男女の身体を金色の画面に結びつけた、黄金様式の頂点です。

Visit

本物に会える場所

本人作品の画像はこのページに掲載していません。実物は各館の公式情報で、展示状況と権利表示を確認してご覧ください。

VIENNA

ベルヴェデーレ宮殿

《接吻》を所蔵。展示・入館情報は公式コレクションページで確認できる。

NEW YORK

ノイエ・ガレリエ

《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》を所蔵する、ドイツ・オーストリア美術館。

VIENNA

美術史美術館

クリムトが若い頃に装飾を手がけた場所。建築と装飾の関係を現地で見られる。

VIENNA

レオポルド美術館

ウィーン世紀末の芸術家たちを所蔵。クリムトとシーレの時代を並べてたどれる。

このページの絵について

本人作品の画像は掲載していません。ページ内の画像は、公開済みYouTube動画のサムネイルをローカル保存したものだけです。動画内の映像はクリムトの画風から着想したAI再現であり、本人の作品ではありません。実作品は上記の美術館・公式サイトでご覧ください。

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