PAINTERS ─ 画家アーカイブ

河鍋暁斎

Kawanabe Kyōsai, 1831–1889

酔っ払いの天才絵師。明治のスキャンダル画家。

生地

下総・古河

渾名

画鬼

代表作

新富座妖怪引幕

没年

1889年、58歳

【本人の画風で再現】河鍋暁斎の生涯 ─ 21:35。映像は河鍋暁斎の画風をAIで再現したものです。

Life

58年の生涯

1831 – 1838

川から拾った首

1831年、古河に生まれ、翌年江戸へ。定火消同心の家で、火事の町を見る。九歳、川辺の生首を拾い「描かせてほしい」と頼んだと伝えられる。

逃げない眼が、画鬼の始まりだった。

この章を動画で観る(0:05〜)

1838 – 1850s

国芳から狩野へ

七歳で歌川国芳に入門し「よく見て描け」と叩き込まれる。身分を案じた母のもと、十歳で狩野派へ。荒々しい浮世絵と、幕府御用の正統を両方持った。

うますぎて、枠からはみ出す。

この章を動画で観る(1:33〜)

1870

牢に落ちた絵師

一枚の風刺画で投獄され、人前で鞭打たれた。幕末から明治へ、国家を笑う筆は危険だった。

酒を浴び、酔ったまま十七メートルの引幕に妖怪を描く。

この章を動画で観る(8:15〜)

1880 – 1881

妖怪と烏

《新富座妖怪引幕》を四時間で。内国勧業博覧会では《枯木寒鴉図》が賞を取る。「絵は安い、高いのは稽古料」。

鹿鳴館を設計したコンドルが弟子入りを願う。西洋が先に、天才を見た。

河鍋暁斎《烏》
鴉を描く筆各所蔵
この章を動画で観る(11:06〜)

1889

百年遅れた評価

1889年、58歳。日本美術史は長く彼を際物として扱った。危険すぎた才能が、ようやく本流へ戻ってくる。

あなたは、どちらを笑いますか。

この章を動画で観る(17:52〜)
Style

河鍋暁斎のパレット ─ 画風の解剖

動画の映像は、この画家自身の色と筆致をAIで再現しています。

墨の黒

かすれと一筆の線

地獄と笑い

妖怪の夜

胡粉

和紙の余白

技法の核心は狩野派の骨格に、目撃のエネルギーを流すこと。酔っていても線は狂わず、戯画は観察に根ざす。うまさが、道徳と格式の外へはみ出した。

Quiz

アートクイズ

動画とこのページを読んだあなたへ。3問だけ。

Q.1暁斎が九歳で拾ったとされるものは?答えを見る

川辺の生首。写生してから返せと伝えられます。

Q.2最初の師は?答えを見る

歌川国芳です。

Q.3西洋人の弟子は?答えを見る

ジョサイア・コンドル。鹿鳴館の建築家です。

Visit

本物に会える場所

この動画が、実物の前に立つための入口になりますように。

TOKYO

河鍋暁斎記念美術館

生涯と作品の拠点。

TOKYO

東京国立博物館

明治期日本画の文脈。

WARABI

記念館の関連展示

画鬼の資料。

LONDON

大英博物館など

海外が先に評価した仕事。

このページの絵について

本ページに掲載している絵画は、暁斎本人の作品(パブリックドメイン)です。動画内の映像は画風のAI再現であり、本人の作品ではありません。本物の絵はこのページと、上記の美術館でご覧ください。

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