60年の生涯
1797 – 1809
火消しの家の少年
1797年、江戸の定火消し同心の家に安藤重右衛門として生まれる。12歳で父母を失い、家督と消防の職を継ぐ。
武士の子の道は決まっていた。心だけが、絵のほうを向いていた。
この章を動画で観る(1:00〜)1811 – 1830s
遅咲きの画号
14歳で歌川豊広の門へ。15歳で「広重」を許される。美人画や役者絵では大成せず、火消しの仕事と二足のわらじが長く続く。
風景絵師としての爆発は、まだ先だった。
この章を動画で観る(3:30〜)1833 – 1834
東海道五十三次
幕府の行列に随行したとも言われる旅の記憶と、想像の宿場が混ざる。《庄野 白雨》の斜線は、雨そのものになった。
爆発的なヒットの裏側に、版元の企画と、空気を摺る職人技がある。

1856 – 1858
名所江戸百景
晩年の《名所江戸百景》は大胆な近景と俯瞰で、江戸の終わりを記録する。1858年、コレラで60歳。
死後、その雨は海を渡り、ゴッホとモネの部屋へ入る。
この章を動画で観る(17:00〜)