58年の生涯
1819 – 1838
田舎を誇りにした少年
1819年、フランス東部オルナンに生まれる。裕福な農園主の一人息子。美しいものはパリではなく、岩山と農民の顔だった。
法律家になるはずが、美術学校へ通いつめる。
この章を動画で観る(1:23〜)1839 – 1840s
ルーヴルが学校
20歳でパリへ。アカデミーよりルーヴル。カラヴァッジョとレンブラントの重さ、スペインの写実を独学する。
「誰の真似でもない画家に」——頑固さは生涯変わらない。
この章を動画で観る(3:07〜)1849 – 1851
醜いと罵られた絵
《石割する人々》《オルナンの埋葬》。名もなき村人を、歴史画のサイズで描く。「醜い」と呼ばれ、危険思想とまで言われる。
サロンが求めた天使も神話も、ここにはいない。泥と葬式だけがある。
1855
世界にひとつの個展
万博の外に「写実主義館」を自ら開く。審査されない場所で、見たものだけを並べた。
国家の展覧会に入れないなら、自分の館をつくる。それが写実主義という宣言だった。
1871 – 1877
円柱とともに倒れた男
パリ・コミューンでヴァンドーム円柱破壊に関わり、投獄、賠償、スイス亡命。1877年、レマン湖のほとりで58歳。
見たものだけを描く、という言葉は、国家にまで届いてしまった。
この章を動画で観る(11:15〜)