答えを残さなかった画家の66年
500年前 – 現代
500年、誰にも解けない地獄
巨大な耳に串刺しにされる人々、鳥の頭を持つ怪物、楽器に磔にされた男。地獄の中心で、青白い顔の男がこちらを振り向く。これは、今から500年以上前にネーデルラントで描かれた世界だ。
描いた男の名は、ヒエロニムス・ボス。日記も手紙も、生まれた年さえ正確には残さなかった。異端の教義か、錬金術の暗号か、それとも一人の男の悪夢か。美術史家たちは今も問い続けている。
この章を動画で観る(0:05〜)c. 1450 – 1463
炎を見た少年
現在のオランダ南部、ブラバント公国の町スヘルトーヘンボス。ヒエロニムスは、祖父も父も叔父たちも画家という一族に生まれた。本名はヒエロニムス・ファン・アーケン。幼い頃から絵の具の匂いの中にいた。
1463年、町を大火が襲う。木造の家々が燃え、夜空を赤く染めた炎と黒い煙を、少年は見ていたのかもしれない。後年、ボスの地獄に繰り返し現れる燃える町は、その記憶だった可能性がある。
この章を動画で観る(1:28〜)1474 – 1486
描きたいものを描ける画家
青年期の記録は驚くほど少ない。父の工房で修行し、1474年に町の記録へ名が現れる。そして1480年頃、裕福な家の娘アレイト・ファン・デ・メールフェンネと結婚した。
市場広場に面した家と生活の資産を得たことで、ボスは注文主の意向だけに縛られず、描きたいものを描ける画家になった。1486年頃には聖母マリア兄弟会に入り、正統な信仰の中にいる敬虔な画家として町に生きていた。
この章を動画で観る(3:30〜)15世紀末
世界の終わりを信じた時代
黒死病の記憶、教会の腐敗、免罪符、説教師が語る地獄。ボスが生きたヨーロッパは、死がいつも隣にある時代だった。彼の「愚者の船」や「死と守銭奴」に繰り返し現れるのは、人間の愚かさと、そこから逃れられない身体である。
スペインの修道士ホセ・デ・シグエンサは、ボスが人間を外側ではなく「内側から、あるがままに」描く勇気を持っていたと書いた。異端者でも狂人でもなく、魂の中身を描く敬虔な画家だった。
この章を動画で観る(5:31〜)1490 – 1510頃
「快楽の園」を読む
《快楽の園》は、閉じた翼の灰色の世界から、左翼の楽園、中央の巨大な快楽、右翼の燃える地獄へ開く三連祭壇画だ。中央には巨大な苺、ガラスの球、果実を頭に載せた人々。彼らは楽しそうだが、その果実も球体も、幸福が一瞬で消えることを暗示するのかもしれない。
右の翼には、鳥の頭を持つ怪物、楽器の拷問、賭博師、豚の姿をした修道女、そして樹の男。薄く透ける絵の具で、異なる生き物や道具をあり得ない形に組み合わせ、ボスは悪魔の工房を一枚の板に建てた。フクロウは、夜と悪、そして知恵の両方の目でこちらを見る。
教会ではなく、1517年にブリュッセルのナッサウ伯宮殿で記録された私的な絵。誰が、何のために注文したのかは、今も分からない。
この章を動画で観る(7:13〜)1504 – 1516
言葉を残さず去った男
1504年、ブルゴーニュ公フィリップ美公から《最後の審判》の注文を受けた記録がある。故郷の町から遠く離れた宮廷にも、ボスの名は届いていた。
1516年8月9日、聖ヨハネ教会で葬儀のミサが執り行われた。兄弟会の記録には「著名なる画家」と記されている。死因も最後の言葉も分からない。絵だけを残して、彼は去った。
この章を動画で観る(15:53〜)1516 – 現代
解読者たちの500年
死後、スペイン王フェリペ2世が《快楽の園》を手に入れ、シュルレアリスムの画家たちは夢と現実が溶ける画面に自分たちの祖先を見た。異端の秘密結社、諺、錬金術、占星術。解読の仮説は次々に現れ、そして退けられた。
エルヴィン・パノフスキーは、独創的で博識な研究のすべてを前にしても、ボスの悪夢の真の秘密は明かされていないと書いた。科学は板の年代や下絵を調べられる。しかし、なぜ描かれたのかは、今も教えてくれない。
この章を動画で観る(17:14〜)500年後
開かれたままの問い
ボスは答えを残さなかった。だから絵の前に立った人は、この怪物は何か、なぜ人々は笑っているのか、地獄の中心でなぜ画家はこちらを見るのかを、自分で考え始める。
絵は変わっていない。変わったのは、見る側だ。ボスは答えのない問いを一枚の板の上に閉じ込めた。その問いは、500年経った今も開かれたままになっている。
この章を動画で観る(20:25〜)